南風の便り

久米島大綱曳きの始まりは?

久米島での大綱曳きは、合併前の旧具志川村で村まつりで行われていました。2000年(平成12年)から一度途絶えていましたが、2013年(平成25年)に13年ぶりに復活し久米島町まつりで開催後は3年に1度行われてきました。コロナ感染症の影響で今年は4年ぶりの開催とあり、島人も心待ちにしているイベントです。

2023年久米島大綱曳き情報

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久米島大綱曳きの起源は?

久米島でいつ頃から綱引きが始まったかは分かっていませんが、古くは西銘で雨乞いのときに綱引きが行われたようです。各戸から数束のワラをもちより、山カズラを取ってきて縛って綱にしたといわれています。村のお祭り行事として大綱曳きとして行われるようになり、現在のような形になったと思われます。また、近年では島内にワラがほとんどなく大綱を制作することが困難となり、現在では与那原町の協力の下、与那原大綱曳きの綱を借りて使用しています。

ちなみに、沖縄本島などで行われている綱引きは稲の収穫の豊年を祈る神事として大綱引きが行われるようになったそうです。

大綱曳きの流れ

入場  →  ガーエー →  綱の結合  →  綱引き  

 

入場

始めに東西両陣営からトゥール(旗頭)とシタクがホラやドラ鐘、爆竹、掛け声とともに中央に歩み寄ります。そのとき、空手演武も行われます。

  • トゥール(旗頭)
    トゥールとは灯籠のことで、旗頭(はたがしら)のてっぺんについています。約40~50キロもあるといわれる旗頭を旗持(はたもち)と呼ばれる青年が一人で持ち一歩一歩前進します。この旗頭をいかに躍動させ美しく旗を踊らせるかが旗持の腕の見せ所です。数名の旗持が入れ替わりながら入場します。
  • シタク
    シタクとは、歴史上の人物に扮した青年のことです。現在は、阿麻和利(あまわり)と護佐丸(ごさまる)に扮して登場しています。沖縄本島で行われる大綱引きでは、綱の上に乗り入場するところもありますが、久米島では櫓(やぐら)にシタクをのせ、島の青年たちが担いで入場します。

 

ガーエー

中央付近で、両陣営が対峙しガーエーといわれる示威運動が繰り広げられます。

 

綱の結合

大綱は1本でできているわけではなく、2本の綱を結合して初めて大綱となります。綱は雄綱(おづな)と雌綱(めづな)と呼ばれ2本の綱の先に作られた輪をカヌチ棒で結合させます。

 

綱曳き

島人も観光客もみんなで参加して大綱を引きあいます。